(記:本田氏)
2011.10.10 ヒマラヤ遠征を控えるなんちゃって登山家の永井氏。その準備トレーニングにと、関西本部2名にて加藤文太郎ゆかりの六甲縦走を計画。確かに一度くらい55kmを走破しておいたほうがよい。
6時30分須磨浦公園駅スタートの予定が、永井氏より寝坊で1時間遅れると連絡。須磨浦公園駅からの出発は断念。高取山登山口を起点とする縦走に変更。永井氏とJR須磨駅で合流。Time is Moneyということで,、最寄り駅からタクシーで登山口へ。高取山頂到着。
新田次郎の小説「孤高の人」の冒頭、老人と若者の会話は、この高取山頂で繰り広げられる。
老人:加藤文太郎のことを話すには此処がもっともふさわしいところだ、此処は加藤文太郎が最も愛していた場所のひとつなんだ・・・
若者:彼は実際は不死身ではなかったのですね。
老人:いや不死身であった。彼は山で死ぬような男ではなかった・・・
老人・・・ではない、ヒマラヤ遠征を控え、気合の入る永井氏。
若者・・・でもない本田氏。ヒマラヤ遠征は12年前の記憶の彼方へ。
高取山を下り、しばらくは市街地を歩き、いよいよコース中、最も困難な菊水山に取り付く。頂上に到着したのは11時30分で、疲労が蓄積。ここで12時まで昼食休憩をとる。霞んでいたが、三宮方面が一望できた。
昨晩宿泊したハーバーランドのホテルも見えている。
菊水山頂から有馬街道まで、一気に高度を下げるが、次のピーク鍋蓋山は、菊水山頂にて回復した体力でもって、一気に落とす。さらに、次のピークの摩耶山を狙えるかどうか、とりあえず市ケ原まで下った段階で様子を見ることに。川沿いの道、どこまでも下っていけば労せず三宮でビールにありつける。いつものなら、このまま早速下山するはずだが、さすが、ヒマラヤ遠征を控えており、「摩耶山まではいきます」と擦れ違いで挨拶してきた人々にも示しがつかぬ。ということで、市ケ原から摩耶山を目指し登っていくことに。
心配は杞憂に終わり、大崩れすることなく摩耶山までコースタイム並みで到着。ここを終着地点と決め、5分後出発の阪急六甲行きのバスを発見、乗車を即決。ロープウェーのある椈星台に足を踏み入れ景色を堪能する余裕もなく約1時間バスに揺られて下界へ。結局、高取山から摩耶山まで全山縦走の半分にも及ばない行程で終わってしまった。JR六甲道近くの焼肉店で食べ放題飲み放題の反省会。